合宿を終えて
2日間、恒例の夏合宿を終えた。
トレーニングそのものがどうだったかは。
昨日の終わりに選手たちには伝えたので。
ここでは、私の別な視点…
ということになる。
選手たちの食事である。
献立ではない。
食に対して選手たちはどんな行動を取っているのか。
そこを見ている。
残さず全部食べろ。
これではない。
もちろん、思いはそこは1番にあるが。
豊食の時代。
ご飯食べなくても、ポテトチップスがあれば。
お腹が満たされれば良しとされていますから。
昭和みたいな?こと言ってもね。
無理やり食べさせるとか、そんな低次元の話ではありません。
合宿の狙いとして。
家ではあまり食事を食べない子が。
合宿という場で、他の人の食事の姿勢を見て。
自分がどうなのか気が付くことがあれば良いと思っていた。
が…、食べない子が多いこと多いこと。
嫌いだからということだけではなく。
食べれないと言うことであった。
「食べれる量には個人差がある。」
そう選手から主張されたが。
医者や栄養士がいうそれね。
はいわかりました。
むりに食べろなんて言ってませんから。
これだと。
食事はみんな残している。
それでいいのだ。
が、普通なんだねとなる。
合宿では、食に対する意識は。
芽生えないんだということが。
学びになりました。
しかし、ひとりだけちょっと厳しく接した。
もともと食べないことがわかっていたからだ。
手は付けるのだが、食べている量は1/50くらい。
だったら最初から「食べません」
それでいいのだと伝えた。
父が、ガッツギアでも飲んでろと。
なるほど。
それで栄養補給ができるのであれば。
そのように代替えのものを家族が準備する方が良い。
自分だけ違う…という、状況を作ることが。
なにかの気付きにつながればと思っている。
なぜなら。
食べる気がゼロなのに。
食事を食べているフリをしているだけなのだ。
いったいその食事はどうなるんだ。
残す子もそうなのだが。
あまりにも、食事を捨てることに。
平気であることが残念だな…。
というのが、個人的な感想。
食べれない子の擁護をすれば。
量が一人一人に合わせていないため。
ほんとに食べれないのかも。
ビュッフェスタイルではないのがデメリットでしょう。
「いただきます」は。
本来、料理の食材となった自然の恵みへの感謝を表すものです。
そして、「ごちそうさま」は。
料理を作ってくれた人だけでなく。
お米や野菜を作ってくれた人。
魚を獲る人。
食事が並ぶまでに関わったあらゆる人への。
感謝の気持ちが含まれています。
その料理を捨てられていることを知ったら…
知るわけないかそんなこと。
私が子供の頃は。
母にアフリカの飢餓の子たちの話をされたな。
その時は、なんのこっちゃとしか思っていなかったが。
当時は栄養失調になっている写真とかがあって。
なんだか自分は恵まれているなんだな。
だから残さず食べようなんて思った時があった。
相手のことを考える。
バレーボールにも必要な意識ではないか。
そういう気持ちを培うのも合宿。
そんな目的もあるのだが。
でも今は。
仕方がないね。
他に食べるものはいくらでもあるから。
そういう時代だ。
受け入れています。
合宿とか環境が変わった時に。
家では見せていない姿を見れることを期待したりね。
そういうことが、合宿の目当てとしてみている。
時代錯誤のお話でした。
独り言だと思ってください。
ありがとうございました。


