楽しさを
邪魔するもの
よく聞くフレーズとして。
楽しんできなさい。
試合を楽しめ。
そういうことを聞くことがあります。
意味をよく分かっていないと。
試合で負けそうだったり。
サーブが入らないとか。
レシーブが上がらないとか。
そんな状態でどうやって楽しめるの?
そう思う選手がほとんどなのでは。
楽しむ価値をどこに置いているか。
大会で得る結果が良ければ。
周囲に称賛される。
自分の評価を受ける。
そういうことを自分の価値にしている場合。
良い成績が得られることが。
楽しいと思うことになります。
その逆で。
良い結果が出ようが、失敗しようが。
勝とうが敗戦しようが。
結果に対して、そうなんだ。とだけ思える人は。
何かに挑戦することが楽しいと思うことになります。
勝たなければならない。
失敗してはならない。
そうならなければ楽しくないとなる価値観。
自分が、良かろうが悪かろうが。
試合に勝とうが負けようが。
自分は自分。という状態で入れる人は。
トライ&エラーを繰り返しながら。
自分の状態に価値をもっているため。
過程に楽しみがある価値観。
つまり。
周りからの評価を価値と思っている人と。
自分の状態に価値も持っている人との差は。
挑戦への恐怖心に差が出る。
そういう周囲からの評価をもらうことに。
重きを置いていると。
失敗することがストレスであるため。
本来の楽しさというものを。
邪魔をするものとして。
チャレンジを控えるようになる。
元陸上選手の為末氏はそのうように語っていました。
今日の最後に。
こはるんるんがトライしていったこと。
肩口のボールは、後ろ足を引いて面を前に向ける。
やってみた。ということ。
返球が成功したので、もし失敗したら。
次はどうするのかはわからないが。
成功した部分は成功体験として。
それはそれで。
やってみたという勇気が。
楽しいとなればよい。
最近のゆなを見ていると。
取り組む動作などに対して。
自分なりに吸収しようと。
取り組むことに夢中になっているように見える。
それが失敗するとか上手くいくとかよりも。
こうかな?
こんな感じかな?
そこに夢中みたいな。
望む動作に近づくための、過程に夢中になっている。
それが楽しい。
周囲の評価よりも。
まずは自分自身の状態にフォーカスしている。
そんな風に見えるんですが。
褒めて育てるという最近の流行りだけでは。
褒められないことはやらないという。
挑戦への恐怖心が養われていくのでは。
私はそういう考えですね。